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新理事長就任挨拶 2021年10月04日

この度,「NPO法人:難病患者支援の会」の新任理事長を承りました依田と申します。

本年の4月15日海外にて2度目の腎臓移植を受けて参りました。
新任の挨拶を兼ねて体験談も記します。海外移植を検討中の方々へ、参考になればと思います。

わたしは、中学生の時にIgA腎症が分かり21歳の時にネフローゼ症候群の診断を受けました。
あまり気にせず普通の生活をしていたところ、32歳から人工透析患者になりました。人工透析は週に3回病院に拘束され、想像したイメージ以上に負担が大きいものでした。

また、人工透析は治療ではなく一生続く延命処置と分かり、やり場のない感情に苛まされ、苦悩する日々だったのを鮮明に覚えています。

当時、第一線で仕事をしていましたが、人工透析に時間を取られ、思い通りの仕事ができなくなってしまい、脱落していく自分が、とても歯がゆく感じました。

苦悩している私を見かねた母が、腎臓の提供を申し出てくれた時は感謝で胸が熱くなり、涙をこぼしたことを今でも忘れたことがありません。

母親から貰った腎臓により私は健康を取り戻し、以前にも増して仕事に集中できるようになりました。そうして、移植手術から4年後には会社を設立し、現在では関連会社を含めて100名を超える従業員を抱えるまでになりました。
このような人生を歩めたのも、母がくれた腎臓のお陰と今でも思っています。とても感謝しています。

しかしながら、腎臓移植手術を担当した医師から「マッチングが悪いので5年程度しか持たないだろう」と言われていました。現在のように免疫抑制剤の新薬がない時代でもあり「PRAが陽性の移植なので長期間の生着が望めない」との説明でした。

母の腎臓は主治医の所見よりも思いのほか長く生着しましたが、10年が過ぎたころから「慢性拒絶反応」が生じて、やがて機能が途絶し14年後の47歳の時に人工透析に戻ってしまいました。また透析患者に逆戻りだと暗澹たる想いになりました。

日本国内で透析から離脱するには、臓器移植ネットワークに登録するか、親族から腎臓を貰うしか方法がありません。腎臓を貰える親族は誰もなく、絶望的な日々を送っていました。

その折、透析中にインターネットで海外移植のウエッブサイトを検索しては、いくつかの斡旋しているネットの内容に目を通しました。
しかしながら、よからぬ斡旋業者の話を、透析病院や周囲の方々から度々、耳にしていたので、すぐには決心がつかず最終的に4年間ほど人工透析を続ける結果となったのです。

2年を過ぎたころから体調が悪くなりはじめ、様々な合併症が出始めてきました。
その一つ、リンが身体に溜まり「むず痒い」症状に悩まされました。夜は熟睡できず、その影響から日中は睡魔に襲われ、日常業務が妨げられました。

そうして気力や活力が段々と落ちていくのが分かり、根気や集中力を失っていく自分に嫌気がさし、たびたび投げやりな気持ちにもなりました。

透析中にアラームが鳴り体調を崩される人や、車いすで運ばれてくる高齢者が肩で息をする姿は、とても哀れに思えました「やがて自分もあの様になるのかなぁ~」と頭をよぎった瞬間です。「俺は死ぬまで透析を続けたくない!」そう思うと、海外へ行く勇気が心の底から湧いて来たのです。
さらに、海外での移植を決断させたのは、苦痛な人工透析をこのまま継続して、次第に年をとっていく自分自身の姿を想像したからです。
まだ幼い娘(5歳と4歳)を残して、このままでは希望もないし、まして死にたくないと思いました。

腎臓移植して透析を止めれば、今以上に仕事もできると短絡的に思いました。
年間、透析病院に約800時間は拘束されます。自分の収入を時給換算すれば移植した腎臓が数年生着すれば元は取れると単純に計算したのです。

また、何よりも行動も飲食も自由になるし、希望を持って残りの人生が生きられると思ったからです。一旦、意志が決まったら渡航移植に対する心配は不思議とありませんでした。
ただし、斡旋業者の選択は詐欺や体調不良の話も聞いていたので慎重に判断しました。

自分が海外移植を体験して最も強く感じたことは、仲介、斡旋する人たちは最後まで患者に対し責任を持つ事です。これが何よりも重要と思いました。

移植を斡旋してくれた「難病患者支援の会」に対し深い感謝の気持ちから、仕事の空いた時間は活動に参加することにしました。私は今日まで数人の問い合わせに応じ、海外の医療事情の良い点も困ったことも率直にお伝えしています。

私は経営者としての見識や、患者の目線から「難病患者支援の会」へ改善点をいくつか指摘したところ「それならば、理事長としてご活躍いただけませんか」と申し出を受け、私は「移植を必要とする人達に役立つのであれば」との想いから理事長を引き受ける決意に至りました。

帰国してから2か月後には18ホールを回るまでに体力は回復し、飲食も自由になりました。仕事も順調です。
また、健康体に戻った私の姿を見て母や家族が何よりも喜んでくれました。本当にうれしく思います。同じ感動を一人でも多くの方へ伝えたいと思っています。

海外の病院へ一緒に渡航した69歳の男性患者も「透析患者になり自由を奪われ、人生は一変した。移植手術により、また人生は一変した」と話されました。まさに同感です。

移植治療は人生を劇的に変えてくれる根本的な治療であることは、2度の移植で私自身が身に染みて感じています。
透析の辛さは、それを経験した者しか分からない世界と私は思います。家族や仲の良い友人であっても、その深い苦悩は知る由もありません。

同様に移植後の生きる喜びや感動も、体験した者しか分からない世界だと思います。
日常の生活は大きく変わります。形容するならば「雨曇りから、雲一つない晴天へ」この様なイメージというか感覚となります。帰国後は住まい近くの大学付属病院にてフォローアップして頂いています。

渡航移植は、年々厳しくなってきています。
生きる望みである海外渡航移植の道を閉ざしてはならない。この強い決意のもと自分自身の体験を踏まえて、資金面の不安や帰国後のフォローアップの不安を払拭することが私に課せられた責務と承知しています。

末尾となりましたが、国内外の医療関係者をはじめ多くの方々へこの場を借りて心よりお礼申し上げます。 ありがとうございました。

令和3年10月1日



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