自己紹介: 私は1983年寝具製造会社を横浜にて起業しました。 1998年より生産の主力拠点を横浜から上海市へ移転。海外で生産した寝具は主に西川産業・全国生協・イオン・ニトリへ、商社(ニチメン)経由にて納品。 ニチメン(現:双日)は当社の株主であり董事(役員)も迎えておりました。
2003年頃、実兄から「同級生が透析で苦しんでいる上海で腎臓移植はできないか?」問い合わせがあり、最寄りの中山医院(復旦大学附属病院)へ尋ねたのが発端となり、移植の世界に縁を待ちました。
当時は外国人でも2~3週間待てば腎臓移植が可能でした。また費用も入院から退院まで190万円ほどで済んだ時代です。病院の説明通りに兄の友人(女性)へ伝えたところ、たいへん驚かれた事を今でも記憶しています。
日本では臓器移植の順番を待つ大半の方が亡くなられる、その様な現実がある事を初めて知りました。そうであれば「私が上海で命を救ってあげられるぞ!」その様な想いからNPO法人を前田先生(現:顧問)指導のもと創設しました。
あれから17年余り紆余曲折、決して平淡な道のりではありませんでした。幸いにも今日まで活動を続けられたのは国内外の医療機関ならび医師に支えて頂いたお陰です。
現在、私達が案内するレシピエントの半数近くが渡航移植を経験された患者様のご紹介、あるいは渡航前、渡航後にご支援いただける医師からの紹介です。
依田理事長は元患者様です。私が思うには将来NPO法人は海外にて命(臓器)を頂いた元レシピエントの方々や医師が中心となり運営されることが、望ましいと考えています。
私も今年、62の齢を重ねるに至りました。 順次、後継者へ道を譲りたいと思います。支援活動に参加希望の元患者ならび医療関係者の方は、ぜひご連絡ください。「助けられる命は助けたい」この情熱をお持ちの方でしたら老若男女問いません。
現地を視察したい方は気軽に相談ください。ご案内いたします。 日本に居ては移植医療の現実が見えて来ません。海外の医療機関を訪問し、移植の専門医から話を聞いてください。きっと移植治療が身近に感じるはずです。そして病気と決別した、明るい未来が開けると思います。 人生を変えるのは他でもない、あなた自身です。
令和4年1月31日 移植コーディネーター 記
1枚目写真 心臓移植のカファレンス 2枚目写真 腎臓移植病院 3枚目写真 2003年から活動を始めました
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